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毎日書いている日記の一部を公開している。

(読書メモ) 濃霧の中の方向感覚 - 鷲田清一

 

答えが出ない、出せない状態のなかにいつづけられる肺活量を持つこと、複雑性の増大に耐えうる知的体力をもつこと。

 

迷ってもいつもそこに根を下ろしなおすことのできるたしかな言葉、そこからさまざまな言葉を紡いでゆけるあきらかな言葉と出会うこと。

 

「真理は間違いから、逆にその方向を指定できる」、だから「間違いの記憶」をきちんと保ち続けることが大事なのだ。(鶴見俊輔

 

賢者は、自分が常に愚者に成り果てる寸前であることを肝に銘じている。(オルテガ・イ・ガセット)

 

「わかりあえないこと」からこそ始めようという姿勢が、メッセージが、「わたしたち」という語には籠められています。けれども、それがもはや他者に通用しないとき、意味(meaning)として理解できても意味あるもの、significantなものとしては聴かれないとき、一つの社会、一つの文化が壊れてしまいます。

 

「摩擦」を縮減し、消去し、一つの「信仰」へと均してゆこうとする社会は、「牽引力」と「反撥力」との緊張をなくし、その「生命」を失ってしまいます。

 

知性は、それを身につければ世界がよりクリスタルクリアに見えてくるというものではありません。むしろ、世界を理解するときの補助線、あるいは参照軸が増殖し、世界の複雑性はますますつのっていきます。

 

わたしたちが生きるこの場、この世界が壊れないためには、煩雑さに耐えることがなにより必要です。

 

オルテガが「大衆の反逆」ということを口にしたのは、「自分の思想の限られたレパートリーの中に決定的に住みついてしまう」性向、もっといえば「理由を示して相手を説得することも、自分の主張を正当化することも望まず、ただ自分の意見を断固として強制しようとする」、そういう性向を、ひとが羞じるどころか逆に当然の権利として主張するような大きな傾向を、1930年の時点でヨーロッパ社会にひしひしと感じたからです。対話を回避し、むしろ他の解釈を斥けたいという欲望をそこにみてとったからこそ、それと対抗的に「われわれの隣人が訴えてゆける規則がないところに文化はない」と言い切ったのでした。

 

過剰な分離、過剰な分断を阻止するためには「普遍」の覆いをかけることしかありませんが、「普遍」を謳うがゆえに、これに従わない人たちの存在を事前に否認し、政治という交渉の場から排除してしまう「自由主義」的な言説の危うさについては、先にも見たところです。

 

文化の発展の兆候の一つとして見るべきものは懐疑的精神の出現ということであります。(エリオット)

 

職住一致と「複業」。このようなかつての仕事のかたちを再現するかのような動きに、「納得のゆく」暮らしをあらためてたぐり寄せることのできるような方法の模索を見ることができるように思います。いいかえると、自然や人的資源とも折り合いをつけながら、制御可能な、ということはみずからの判断で修正や停止が可能な、そういうスケールの「経世済民」の事業を軸に、社会を再設計してゆかねばならないという思いです。

 

まずは、じぶんがいま立っているこの場所を知ることです。じぶんの立つこの場所が、どんな歴史をもって形成されてきて、現にどんな政治的な力線やどんな経済市場の圧力下にあるのかを、きちんと立体視することです。世界を立体的に見るためにこのパララックスをより大きくするには、他の人たちの言葉にじっくりと耳を傾けること、そして他の人たちが置かれている状況を事細かく想像することが不可欠です。

 

じぶんの手で他の人たちとの関係のコンテクストを編むには、みずからが進んで触媒的存在にならないといけないということです。さまざまな圧力や過去の外傷系意見や折り重なった断念のなかで怯んでしまい、あるいは何をしてもむだだと諦めてしまい、声を上げられなくなっている人たちに声をかけるということです。声を上げられない人たちとは、「弱い」人、傷つきやすい人のことです。けれども、傷つきやすいとは過敏であるということ、つまりは周りの微細な変化への感度が高いということでもあります。人を欺こうが、人を蹴落とそうが、人を言葉で傷つけようが病気にならない、そのことの異様さに気づかせてくれる人。その人たちに感謝できるようになってはじめて、わたしたちの社会はすこしばかり力がついたと言えるのでしょう。

 

個人が社会システムに、中間集団を媒介せずにじかにつながるようになるというのは、諸個人が同じ一つの物差しで動くということである。ここにはルールはあっても文化はない。

 

「まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、後から来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」と。じぶんのここでの仕事を未来の石工のことを思いつつなすということ。周りの人に「ほめられなくても気のすむ」仕事とはそういうものだと、石工はいう。

 

「スキルと呼ばれるものは、隣の芝生に行っても発揮されなきゃだめなんだ」(小山田徹)

 

自立というのは、他人の助けが必要でなくなることではなく、むしろ、いざとなったら「助けて」と声を上げれば、だれかがすぐに駆けつけてくれるようなネットワークが編めているということだ。独立(インディペンデンス)のことではなく、他者との相互的な支援の関係(インターディペンデンス)である。

 

良いコミュニティは消費活動が少ないと言われる。

 

「消費者」から「生活者」へと軸足を戻すこと。

 

作業それじたいが楽しいこと。この作業がじぶん以外のだれかの役にたっているということ。この二つが感じられない仕事は辛い。それを回避するために、この人たちが企業というシステムに代えたものは何だったのか。いまどきの言葉で言えば、手作りのネットワーク、かつての言葉でいえば「つて」ではないかとおもう。仕事とは、生きるための、生き延びるためのネットワークをつくることだ。

 

わたしはこの光景に今もなじめずにいます。じぶんと家族の暮らしを成り立たせるために働いて金を得るという経験をしていない子が、たとえ小遣いを持っているにしても、それを使って大人を自分のために働かせていいものだろうかと思うのです。

 

エリオットはこうした社会の分裂と解体が進行しているからといって、すぐに統合の必要を述べはしなかった。意外なことに、むしろ「摩擦」の分散が重要なのだと説いた。多様で細々とした摩擦の起こる場が多ければ多いだけ、社会の刺激も分散し、結果として単一種の嫉妬や憎しみ、恐怖や敵対心が社会を覆い尽くすといった危険を回避できるというのだ。だから、「一国の文化が繁栄するためには、その国民は統一されずぎてもまた分割されすぎてもいけない」と。

 

民主主義は「国民」という同質的な枠組みにおいて機能するだけでなく、家族や地域コミュニティ、エスニック集団や国家からさらには人類社会まで、いわば多次元的に模索されるべきだということ。

 

現在の社会的決定は、死者や未来世代の思いをも深く引き入れるかたちでなされねばならない。

 

「大ごとじゃった。大ごとじゃと思うとった、あの頃は。大ごとじゃと思えた頃がなつかしいわ。」

 

学問と宗教と芸術。これらのエクストラオーディナリーないとなみが、わたしたちの人生を、世界を、これまでとは違った眼で見るための補助線を与えてくれる。

 

《ドイツでは憲法を改正するとき、国民投票という手続きを取らない。数年前にこのことを知ったとき、ナチス・ドイツの記憶を持つドイツこそ、国民投票を最優先すべきなのではと不思議だった。知り合いのドイツ人はその理由について、僕に「我々は自分たちに絶望したからです」と説明した。集団化したときの自分たちの判断をしようしていないのだとも。》多数の意見をまず尊重する。そのうえで少数者の意見にも可能なかぎり配慮する。これがデモクラシーの基本であろうが、ドイツ人がその最初の前提に全幅の信を置いていない、というかじぶんたちが集団としてなす判断に常に懐疑的であることを肝に銘じているという事実は、重い。

 

「かつての私は、どうでもよい些細な事柄でまわりの人間を峻別しては、嫌ったり嫌われたりして人間関係をこじらせてしまうのが得意でした。その私が『選ぶ』という行為を放棄してぼんやりしてしまっていたのです。それは無意識のうちに、人生でどんな人と出会うかは、じつは選べそうで選べないことだと思うようになった自分と出会うことでした。これは、なかなか愉快なことでした」(小山直)

 

だれかを選ぶというのは、いうまでもなく、別のだれかを外すということだ。身も蓋もない言い方をすれば、だれかの存在を値踏みすることだ。そんなこと、ほんとうにできるのか。してよいのか。

 

言葉にしたとたんに感じるきれいに辻褄をあわせているだけではないかとの疑い、まだまだ言い切れていないというじれったさ、これではだれにも届くまいというもどかしさ……。「まとまる」のではなくその逆、「まとまらない」という感覚こそが、言葉の「真」を裏打ちしているのではないかとおもう。

 

共通世界の終わりは、それがただ一つの側面のもとで見られ、たった一つの遠近法において現れるとき、やってくるのである。」(ハンナ・アーレント

 

社会に、すきまという意味での<あそび>がなくなってきたということか。勘ぐったり、探りを入れたり、そんな面倒なやりとりはできるかぎりスルーする。が、それでもちょっとしたいざこざや諍いは起こる。すると、切れるというか、一気に排除に向かう。

 

法令を遵守しているかいないか、ファクトかフェイクか、ラヴかヘイトか、大声か沈黙かというふうに、何ごとも1か0か、オンかオフかで処理し、グレイな対応を許さない、窮屈というか余裕のない社会。放っておけば、身の塞ぎがおのずと他者への攻撃へと転嫁されてしまう社会。<あそび>がなくなっている。

 

触れあわないのでもなく、いきなりぶつかるのでもなく、たがいに適切な距離を測るべき、触れるか触れないかのあわいでまさぐりあう、そのような関係をもっと厚くすることが、いまわたしたちの社会に必要なのではないか。見たくない光景が広がりつつあると嘆くより、まずはじぶんの周囲から、眼に見えるかたちで他者たちの存在をまさぐる態度や仕組みを培うことにとりかかりたい。

 

多様性と言った瞬間、わたしたちはもう多様なものを俯瞰する場所に立っています。多様性もまた全き「一つ」の視点になりかねないのです。たがいに異質な他者どうしが、上空からではなくあくまで地べたで、横向きに探りあうという関係がそこで維持されなくてはなりません。

 

人の想像力は貧弱なものだから、人はおなじ苦しみにあずかろうと体を動員する。大切な人が試練を受けているときは、離れた場所で冷水を浴びる。だれかの困窮を思って、じぶんも断食に入る。そんな風習がかつてあった。

 

格好をつけること、つまり外に形をつくることは、内なる心がよりたしかな形をとるための手立てとして大きな意味をもつ。人の思いというのはひ弱なもので、つねになりふりをかまっていないとあっさりと崩れてしまいもする。

 

リアリティの岩盤は個々の身体の内にある。リアリティは、メディアを介してではなく、自己の身体と他者のそれとが生身でまみえ、交感するなかで、時間をかけて形成されるものだ。

 

「ぼくは、忘れる人がえばるのもダメだし、忘れていない人がえばるのもダメだと考えています。」(糸井重里

 

「つくる」ことは「ものづくり」へと純化され、「創る」こととして神棚に上げられていった。道具は、用いられるものとして、人びとの繋がり、物たちの連なりに根を囃していたはずなのに。こうして「つくる」ことがわたしたちから遠ざかっていった。

 

「忘れまじ」といえば過去の悲惨な経験のことをまずは思うが、わたしたちは未来に起こるやもしれない悲惨な経験にもおなじように思いをはせねばならない。「通時的」な歴史感覚を未来に向けてしっかり身につけておく必要がある。

 

英語のリバティを辞書で引くと、たいていの場合、「気前のよさ」が第一の意味として出てくる。弱さに従う自由とは、まさに気前のよさのことである。そしてこの気前のよさとは、じぶんの自由より先にまずは他者の自由を擁護するということである。そういう相互扶助の精神が充満しているところにしか、おそらくほんとうの自由はない。

 

先ほど幸福とは移行の感覚だと言ったが、この移行は、藤田のいうように、さまざまの忍耐や工夫を積み重ね、それらをとりまとめてゆくなかでまさに生全体のあり方への評価としてあり、紆余曲折を経て生まれる「喜び」としてそれを享受したときに幸福として感受されるものなのだろう。「幸福とは何か」という問いは、得たものの大きさではなく、失ったものの大きさに比例して深まってゆく。いいかえると、自身もしくは他者が失ったものへの想像力の強度に比例して、深まってゆくものなのだろう。

 

幸福は他者との共作であるのだとすれば、「あなたは幸福ですか」という問い自体がすでに虚構だということになる。

 

一つの時間を生きる、あるいは一つの時間しか生きられないというのは苦しいことである。生きものとして人間に無理をかけるからである。

 

ゆたかに生きるというのは、それぞれの時間に悲鳴をあげさせないことだ。どれか一つの時間が別の時間に無理をかけているというのは、生きものとして不幸なことだ。

 

教育とはそういうものだとおもう。先輩としてのじぶんもおなじように格闘中で、これまでの経験から「それは違う」とは言えても、それがほんとうに間違いなのかはついに最後までわからない。だから「これでよし」という言い方はしない。

 

こういう生き方もありうる、こんな価値観もあるというふうに、子どもたちに生き方の軸となるものの多様さを教師みずからの背で示す、あるいは過去の人物に託して語る……。そうすることで子どもたちの将来の可能性の幅を拡げるところに教育の意味はある。「提言」は逆に、整備された道ならうまく走れるが、不測の事態にうまく対処できずへたり込むばかりの、そんな子どもを育てたいかのようである。「想定外」の事態にどう対処するかの能力が、生き延びるためにもっとも重要だということを、わたしたちは福島の原発事故で思い知ったはずなのに。

 

ほんとうは全感覚を巻き込んで浸るからこそ心地よい美術や音楽も、学校では、見ること、聴くことという、対象から隔てられた「鑑賞」へと萎縮され、「とろける」と形容したくなるような、官能的な悦びからは遠ざけられる。

 

日本はいつからこんな酷薄な社会になったのだろう。酷薄どころか、おのれの未来を長い視野に立ってきちんとせっけいすることのできない「頭の悪い」、というか「品のない」社会になったのだろう。

 

多様なパターンがあるということなら、そこには選択しかない。消費社会における人の多様性はしばしばそういうものとしてある。行動の自由が消費における選択の自由でしかないところでは、人は不安と退屈のあいだを空しく<あそぶ>だけだ。M・チクセントミハイが書いている。「為し得ることが非常にたくさんあるように思えるから不安なのであり、できることが何もないから退屈なのである」、と。

 

知性と想像は、「効率」や「効用」といったちまちましたものではなく、もっと心躍るもの、もっと気高いものに「奉仕」するものであってはじめて、逆説的にも、もっともリベラルなもの、そう、自由で気前のよいものになる。

 

「いのちの相互ケア」になにより必要なのは、つねに全体に気を配ることです。

 

人に競い勝つには強さが要る。が、人を慈しむには、慈しむ側にも傷つきやすさという弱さが要る。

 

たいせつなことは、わからないけれどこれは大事だと見定めることができること、そしてそのわからないものに、わからないまま正確に対応できるということです。アートだって、何を描きたいのかわからないままに、そのわからないものを正確に表現するところに核があるはずです。わかりやすく撓められた表現は、すぐに退屈になってしまいます。異和がすっと消えてしまうからです。

 

わかりやすい話の外にいつも出ること、そしてその無呼吸の状態に耐えつづけること。そういうためがもてるかどうかに、生きることの意味のすべてがかかっているのだとおもいます。

 

学問の世界に「選択と集中」は禁物である。

 

レコグナイズを字義どおりに解せば、あらためて知ること、知りなおすことである。他者によってあらためて在りとされることで、ひとは生き在えることができるのだ。

 

もし、鈴木のいうように、表現されていないところにこそ表現の角があるのだとすれば、いいかえると、記憶というものはその起点からして隠蔽としてはたらくのだとすれば、それによって隠されたものにはついにたどりつけないことになる……。精神科医とは、なんとも怖ろしいことを言うものである。

 

食はじつは人と人との関係である。それがうまく編まれていないときには、人は食への欲求さえ失う。人間関係がうまくいっているか否か、その幸不幸はまず口に出るものだ。が、長く続いたグルメとダイエットの時代、食は記号と情報の世界に呑み込まれ、もはや人間的な意味の凝集する場所ではなくなっていた。飢えはむしろ、食と切り離された場所でより痛切なものになっていた。

 

鴻池朋子は、画家としてこれまで取り組んできた作業をもはや<芸術>とか<表現>といったやわな言葉では語りえないと感じ、食うか食われるかの<動物>の世界にじぶんも<動物>としてつながっているという、そうした連続のなかにこそ、アートの立ち上がる場所があると確信したらしい。

 

今後、復興の課題が多面化してゆくなかで、被災した人びととのあいだに何らかの<隔たり>が生まれざるをえないだろうこと。大事な人、大切な土地を失った人はそれぞれにいわば人生の語りなおしを余儀なくされるだろうこと。

 

平田さんのコミュニケーション教育にはひとつの信念がある。それは、さしあたって「対話の技法」や「伝える技術」など教える必要はないということだ。そんなもの、何が何でも伝えたいという気持ちがないところでは、なんの役にも立たない。

 

対論ではなく対話を練習すること。(中略)問題はだから、そういう冗長さをなくすることではなく、それをきちんと「操作する力」ではないかと平田さんはいうのである。滑らかなスピーチや無駄なおしゃべりのないディベート(対論)よりも大事なのは、「冗長率の操作」なのだ、と。

 

「私は、自分が担当する学生たちには、論理的に喋る能力を身につけるよりも、論理的に喋れない立場の人びとの気持ちをくみ取れる人間になってもらいたいと願っている。」(平田オリザ

 

よくあるコミュニケーション教育では、冗長率を低くすることがことばが通じる前提と考えられ、ことばにできるかぎりの明確さや論理性が求められるが、ことばが一致したり、共有されたからといって、たがいの理解が深まるわけではじつはない。ことばの背景をなすコンテクストをどれだけ丁寧に擦りあわせられるかに、事はむしろ懸かっている。

 

問題を俯瞰的に論じるよりも先に、まずはまわりの生きものの環境に丁寧に手入れをし、しかもしすぎず、あとは生きもの自身の育つ力にまかせること。「まわり」にはいうまでもなくヒトの子どもも含まれる。

 

パスは、上からの判断ではなく、個々人が他のメンバーの状況を見やりつつ水平方向になす。そのことでチームにも力がつく。

 

物知りというよりは賢明さ。知力以上に深い洞察力。日本語ではこれを「理性」というが、それにあたるドイツ語はVernunft、フランス語はentendementである。ともに「聴く」を意味する動詞、vernedhmenとentendreからきている。日本語の「知る」は「領る」に通じ、対象を統べる、支配するといった含みがあるが、ドイツ語やフランス語だと逆に、できるかぎりじぶんは引いて、相手の声に耳をすますという意味がこもる。

 

芸術やアートをもういちど「消費」から「生き在える」という文脈へと置きもどして、その技、つまり《生存の技法》としての可能性のほうから捉えなおすチャンスだと思っている。そういえば東日本大震災時に多くのアーティストが、アーティストとしてではなくヴォランティアの一員として被災地に駆けつけたのも、暮らしをゼロから立ち上げなおすときに、人びとが何からとりかかるのか、その一つに歌や舞や祭がなかったら、アートなんて余裕のあるときの飾りの一つにすぎないことになる、と思いつめてのことだったのではないか。

 

語りあえば語りあうほど他人とじぶんとの違いがより微細に分かるようになること、それが対話だ。

 

「何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものです」(バーナード・ショー)。何かを失ったような気になるのは、対話の功績である。他者をまなざすコンテクストが対話のなかで広がったからだ。対話は、他者へのわたしのまなざし、ひいてはわたしのわたし自身へのまなざしを開いてくれる。

 

対話は、生きた人や生きもののあいだで試みられるだけではない。あの大震災の後、わたしたちが対話をもっとも強く願ったのは、震災で亡くした家族や友や動物たち、さらには、ついに”損なわれた自然”をわたしたちが手渡すほかなくなってしまった未来の世代であろう。そういう他者たちもまた、不在の、しかし確かな、対話の相手方としてある。

 

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