SHUMAMB_CLTR

毎日書いている日記の一部を公開している。

ザツダン #02417

 

去年と今年は明らかによくなくて。

 

下手であっても、殴り書きであっても、この場所に残している言葉が最も自分自身を表しており、見栄も卑下もなかった。そして、なにより、道標になっており、書いて軌道修正を図ったり、のちに振り返って反省に活用したり、この場所は(非公開のメモも含めて)実はかなり大切であった。

 

しかし、昨年からは言葉にならず、叫ぶことに逃げている。考えることから逃げている。苦労を終えることのできる時期までの計算ができるようになり、しかし、まだまだあと8~9年ほどあり、体力やバイタリティは年々落ちてきており、そういったなかで低燃費のつまらない運転をし続けてしまったのがこの2年間。無意識にではなくて、「30代の10年間は腹括るか。我慢の期間。」だなんて真剣に考え続けていた(いる)。そして、そういった選択しかできないほどぎりぎりで生きていることも嘘ではない。投げやりになってそういった選択をしたわけではなくて、過去の数ある経験でわかった自分自身の特性を鑑みてもこれがサバイブするための最適の術であると今でも信じている。年々生きやすく幸せになってきていても毎日絶対に死にたくなることが中学生の頃から全く変わらない中で、8~9年後のゴールまでの道がやっと見えたのだから、息を止めて最短距離で向かおうとするのは自然なこと。

 

しかし(また、しかし?)、完全な空白をつくってしまっては全く違う人間になってしまう、と感じ始めたのがここ数ヶ月。「つまらないゴールに向かって進むことにいったん集中しよう。」と舵を切ってしまったことで、この場所に書く言葉の数も熱量も明らかに弱くなってしまい、"自分自身で納得できていた数少ない自分" はどこにもいなくなってしまったかのような。それが1~2年であれば許容していいのかもしれないけれど、8~9年経って40歳になったときにもう蘇ってはこない気がして。

 

考えて言葉として残す体力や余裕がなかったのは嘘じゃない。今も余裕がないと感じている。それは10年後のためであり、大方針は自分に合っていると考えている。けれど、それでも、完全に止めてはいけないものがあるということ。

 

まだ死んでいないから大丈夫。皆でつくったもののうち、あれを、あれだけを思い出せば、まだできるかもしれないではなくて本当にできていたことがはっきりとわかるから、だから大丈夫。大嫌いなプロレスなんかせずにまだボクシングを。

 

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