SHUMAMB_CLTR

毎日書いている日記の一部を公開している。

ザツダン #01831

 

つくっている人たちは、今も淡々とつくり、謙虚に発信し続けている。最深部/最先端/最尖端とまで言われない場所であっても、ある程度小さなところへ来れば、おかしな動機を持った人は居なくなる。


一方、聴く側は、いいかげんな人や偉そうな人が結構なところまで追いかけてくる。想像(およびバンドをやっていた頃の経験則)でしかないが、"それが好きな私"を見てほしい人や、より小さな界隈へ移ることで自らの居場所を得るチャンスを窺う人、自分にはそんな例が多いように見えて仕方がない。批評の性質上どうしても偉そうに見えるとかそういった類の話ではなくて、透けて見える思惑の話だ。人間の最もダサい部分がくっきりと見えてしまっている。商業的な思惑によるものであればまだ諦めがつくのだけれど、そうでないから、よりタチが悪い。

 

趣味との付き合い方の話 - SHUMAMB_CLTR

 

以前、上記記事に書いたとおり、全員が趣味に全力で向き合う必要はないと思っている。けれど、せめて、見栄を張って偉そうなことや嘘を言い放つことは勘弁してほしい。

 

年間ベスト関連の投稿だって、デッキコレクションの如く紹介している醜悪な言い回しの文章が散見される。所有したつもりなのか?自分自身を装飾する感覚ならばまだ可愛いけれど、それをもう超えていない?

 

いい作品なんて少ししかない、と信念なく言う人もいる。思慮深い批評の類ではなく、放言のようなものについてだ。見つけられなかった悲しみからなのか、あるいは、つくっている人に刺激を与えるつもりなのか知らないが、つくる側と比較したら聴く側のコストは低いのだから、その姿勢はないんじゃないかと。

 

こういった例は、意識的に情報をいただいている方(=Twitterなどでフォローさせていただいている方)の中にはいないけれど、インターネットで情報を得ようとする以上どうしてもこういったノイズが付いてまわる。見るたびに、怒りや不快感とは違う、(何かを背負っているわけでもないのに)行き場のない申し訳なさのような感情を抱く。そして、こんなことを言っていて何かが変わるわけではないこともわかっている。

 

だから、好きなものくらいは余計なものとはできるだけ離れた美しいところに居続けたいという一心で、これからも壁を叩いて外へ外へと常に移動し続けなければならない。インターネットにおいても非インターネットにおいても、(個人主義として考えるならば)ノイズから逃げるためのアイディアは現状これしか持ち合わせていない。自分より外へ行っている人がもちろんたくさんいるから、背中を見て追わせていただく感覚でいいかもしれない。壁を叩かなければならない端っこには今はいないから。

 

がんばってつくり続け、探究している人たちに対し、失礼のないようにこっちも本気で向き合いたい!と、そう思って聴いてきた。量だけならば中学生の頃から同じような聴き方をしているが、全身体的に聴くという感覚が、今年の春頃にやっと、やっと少しわかったところだ。心を揺さぶられるだけであったのが、確実に自分自身の血肉となるように変わってきた。読んで処理するのでなく"食べて成る"感覚を知れた。次の感覚を知り得るのがいつになるかわからないが、沸るものがなくならないかぎりは、つくり続けてくれる方々への感謝を持ってこっそりと向き合い続けたい。

 

あともう一点。姿勢と感覚こそひとつの形が見えてきた気がしているものの、対象という意味では一次情報をメインソースにできていない期間が長い。今年のベストディスクも、潔くサブスクリプションサービスに絞って展開する予定だ。就職する前のように、レーベルサイトやbandcampにまた軸足を置き直したいとも思っている。片手間で利用する程度だと、やはり見逃すものが多い。Twitterでフォローさせていただいている方からの情報を完全に信頼しているとはいえ、そういうことではない。聴く量こそ既に頭打ちだけれど、ソースの割合を戻していけばまた更に良いものに出会うことができそうだ。(とはいえ来年は忙しくなりそうだから、不実行になってしまうかもしれないけれど。)

 

これとはまた別のことを思ったときには、また書きたい。まだ少ししっくりきていない部分があるから、異なる意見に触れたらすっきりして気にならなくなる可能性もまだあるのではと少し期待している。

 


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